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エッセイ

小学校
2021/01/21
教師になってよかった
 

「先生のクラスになれてよかった。」1年が終わる3月。自分が受け持つクラスの子どもたちからこの一言を言ってもらえた時、しんどかったことや辛かったことがいっきに全て飛んでいく。喜びや安堵だけでなく、教師として、人として成長できた自分を感じる、そんな瞬間となる。そして、「教師になってよかった。」と心の中で呟く。

今回、このエッセイを書かせていただくにあたって、何かエピソードを紹介できないかと悩んだ。しかし、8年間クラス担任をしてきた私にとって、どれか一つのエピソードに絞ることはできなかった。なぜなら、すべてが今の私を成り立たせてくれている出来事であるからだ。

決して喜ばしいことばかりではない。冒頭部分でも述べたが、しんどかったことや辛かったことがない一年間なんてなかった。むしろ、しんどかったことや辛かったことの方が多いかもしれない。しかし、いつも子どもたちに救われていた。私にとっての「教師冥利に尽きる」は、出来事というよりも子どもたちの存在そのものかもしれない。この文章を書き進めるために今までの記憶を辿る。さまざまな子どもたちの顔が浮かんでくる。そんなふうに思い出に浸っている時、不思議なことが起きた。

いったん休もうとパソコンを閉じて、近くのフードコートに行った時のこと。そこには教師1年目の時に担任をしたAがいる。家族でそろってお昼ご飯を食べているではないか。私は嬉しくて思わず声をかけた。みんなよく覚えてくださっていて、何年かぶりの再会を果たし、近況を語り合った。当時小学校1年生だったAの姿がいっきに蘇る。

職員室から教室に戻ると、机の上にAが登っている。その横で泣いている子。Aに対して怒りをぶつけ泣いている子。持病が発症したのか、黒板の前あたりで寝転がっている子。大きな声で叫びまくる子…。教師1年目だった私にはもう地獄図のような光景だった。その状況をどのように対処したのか記憶は定かでないが、しばらくたった後、泣くのを我慢できず教室を飛び出してしまったことだけは覚えている。他の先生方に助けられ、子どもたちも私も平常に戻ることができたが、今でもあの当時を思い出すと泣きだしたくなる。

Aは、正義感が強く、曲がったことが許されない子だった。しかし、感情をコントロールしたり、言葉で表現することが十分できなかったため、手や足がすぐ出てしまう。「Aに服をハサミで切られた…」と言ってきた子もいた。とにかく、必死にがむしゃらに向き合うことしかできない私。本当にいろんなことが発生した1年間だった。だが、Aがクラス最終の日に言った言葉が今でも忘れられない。「もう最後か…。なんかさ、寂しいわ。泣きそうやねんけど。」

中学3年生になった本人はその時のことを覚えていなかった。でも、あの時のまなざしは変わらぬままだった。高校進学に向けて受験生として頑張っているAを見て、なぜか私は涙が止まらなかった。「あの時、Aといっしょにがむしゃらに日々生きることを頑張ってよかった。向き合うことをあきらめなくてよかった。」あの時があったから、今の自分がいる。そして、こんなに立派になったAがいる。

教師は、過去と現在、未来への繋がり、人と人との繋がりをより感じることができる、特別な仕事であると思う。お金には決して変えることができない、素晴らしい宝物を得ることができる。だから、これからもずっと、教師としての使命や役割を大切にしていきたいのだ。