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エッセイ

小学校
2021/01/04
最悪な出会い
 

教師一年目。着任式でわたしが担任と発表されて「○○先生がよかった」と大号泣していた彼女。そんな彼女を含む33人で4年2組はスタートしました。

着任式でも一際目立っていた彼女は事あるごとに気になる子でした。思ったことをすぐ口に出してしまったり、嫌なことがあると態度にだしてしまったりと泣くことは日常茶飯事。自分勝手な部分と人付き合いが不器用な部分が重なって、トラブルのない日はないほどでした。また、自尊感情がとても低くテストを返却すれば100点でない限り泣き喚く。本当に手がかかる子でした。「あいつはほんまにうるさいなぁ。」「あいつはああいう奴やからな。」周りからは今までのこともあり、そう思われていました。そして、周りにそう思われていることに彼女もきっと気づいていたと思います。

でも、私は彼女と向き合う中で、「彼女は本当に勉強もよくできるし努力もできる。だからこそ、できない自分が許せないんだ。自分が許せない子が周りの子を許せるわけないんだ。」と思ったのです。思い返せば、できない自分が許せない彼女をわたしは1年間たくさん見てきました。何ができるのだろう、と考えましたが、きっとそのときの私ができたことはほとんどありませんでした。

ただ、4年2組の最後に、一人一枚の手紙に一つの漢字を添えて渡しました。「笑」「続」だったり様々な漢字をその子たちに合わせて送りました。その彼女には「許」という言葉を「周りの人のことも、自分のことも許してあげられる人になってね。」と添えて渡しました。

進級し、私は1年生の担任に、そしてもちろん彼女は5年生として新たなスタートを切りました。校内を歩いていたとき、ふと5年生の図工の作品が目に留まりました。それは花の絵と自分が大切にしたい言葉を書いてあるものでした。「ああ、去年の子たちの作品だ。」そんなことを思いながら見ていました。その中で例のあの彼女の作品を見つけたとき、私は思わず「うわ。」と声が出ました。

そこに彼女は「自分を許して 周りにも優しく 生きていきたい」と書いていました。もしかしたら偶然かもしれません。ですが、自分の言葉が彼女の中に残っていることに胸が熱くなりました。あの不器用な彼女が急激に変わることはないでしょう。だけれども、一年越しに担任としてあの子にきちんと伝えられた気がしました。

これは余談ですが、先日その彼女が私に「先生から4年生にもらった手紙この前見つかってん!」と話しかけられました。「ああ、あの漢字を送ったやつ?」と返すと「そう!許す!あれ読んで、なんか涙出たわ!」と。

今わたしはこの子たちの6年生の担任として改めて関わらせてもらっています。今関わる子たちにも、何か大切なことが伝えられるように日々頑張ります!