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エッセイ

高等学校
2021/01/04
駆け抜けた14番
 

今も昔も高校ラガーマンの憧れは「花園」です。ドラマ「スクールウォーズ」の放送開始が昭和59年ですので、当時(昭和61年)はラグビー人気全盛期でした。

「なんでラグビー部に入ったん?」三者懇談で私が訊いた時、Kは結構長い間考えたあと「わかりません」と答えました。とてもラグビーをするとは思えない華奢な体格、大人しい性格。真面目で一途な彼は、人一倍、いや二倍も三倍も努力をし、3年生の最後の試合で14番のゼッケンを掴み取りました。

Kの最後の試合、しかも、その年のラグビー部は強豪を次々と撃破し、なんと聖地花園で試合があるときいたので駆けつけました。

予選でもここは「花園」。一番小柄なKが芝の上に現れた時には一層大きな歓声が響き渡りました。 彼が貰った14番はウィングというポジション。日本代表なら福岡選手や松島選手のようにライン際を走り抜けてトライをゲットする花形です。が、先発メンバーに14番の姿はありません。優勝候補の私立高校を相手に下馬評どおりのワンサイドゲームでしたが、我々応援団は声を嗄らして声援を送ります。いよいよ残り時間が5分を切ったとき、ベンチから14番が駆け出す姿が見えました。結局Kは一度もボールに触れることなく最後の試合を終えましたが、私は、その姿に胸が熱くなり、感涙を禁じ得ませんでした。

それから3年後のことです。大学生になったKから電話があり、聴いてほしいことがあると言うので、待ち合わせをして、お好み焼きを食べながら話を聴きました。結局、彼の抱える人間関係の悩みはどうすることもできませんでしたが、あの日の花園の思い出話も一頻りした後で、別れ際に「融通の利かない分誰より誠実なお前のことを応援している人間がいることを忘れるな」と言って店を出たことを覚えています。

その次にKの名前をきいたのは、それから30年以上経った同窓会の席でした。がんが再発して入院したというので心配していたら、数か月後、同窓会の世話役からLINEに訃報が来ました。

住所を調べ、お供えのお線香をおくり???それから、何度も躊躇しましたが奥様に電話をしました。辛い思い出話も「供養ですから」と言い切ってくださる奥様の言葉に、Kは愛されていたんだなぁと感じました。闘病生活は長く、最後の2年間は一度も出勤できなかったのにKのデスクはそのままで、同僚のみなさんが「いつでもいいから必ず帰って来いよ」と言ってくださったそうです。

あの日、花園で駆けた頑固者の14番は、あの日と同じように人生をクソ真面目に走りきり、あの日と同じように最後までみんなに支えられながら逝きました。 
K、私は君に寄り添えていただろうか。答えはもう聞けないけれど、私は今、教師で良かったと心から思っています。電話の最後に、嗚咽交じりに聞こえてきた奥様の一言を忘れません。「あの人は幸せ者です。」