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エッセイ

中学校
2020/12/10
一番苦しいときに支えてくれる人
 

大学を卒業し、故郷である小さな離島の中学校教諭になって22年。自分の同級生の子どもが生徒で在籍したり、かつて受け持った生徒が保護者となっていたりと年月を感じられる今日この頃である。20代の頃から、生徒指導部に属することが多く、小さな学校でありながら、様々な困難を抱えた生徒やご家族と多く接し、自分も考えさせられた。自分で言うのも何だが、本来は争いごとが苦手で温厚な性格だったはずの自分が、学校の中で肩肘を張るようになり、いつしか「恐い先生」を演じるようになっていった。尊敬できる諸先輩方にも沢山、出会うことができた。卒業した生徒が家出をした時、宿をとってやり、しっかり話を聞き、旅費を渡して本土の家族につないだ先生。生徒が壊した学校のものを、大きな声をあげることなく、それまで以上にきれいに直して、次の朝、整った教室で生徒を迎え入れようとした先生。私が家のトラブルで悩んでいた時、親身になって話を聞いてくれた先生。そんな諸先輩方の自分にはない素敵な面を見て、余計に自分の「生き方」、「働き方」を考えさせられた。

十数年前、私の父が不慮の事故で亡くなった。3年生の担任をしており、進路決定を控えた大切な時期に一週間、学校を休んだ。身も心も疲れ果て、今後の自分や家族の行く末への不安が強い中、重い足を引きずるように学校に向かった。車から降り、学校に入ろうとしたときだった。2階のベランダから「先生!お帰り!」と明るい声が聞こえた。声の主は、学校内外でトラブルが多く、私がいつも指導していた生徒だった。心が一気に軽くなった。今日から頑張っていこうという気持ちになれた。

現在、管理職をさせて頂いているが、相変わらず、自問自答の日々は続いている。しかし、「人生の良いときに声をかけられる人より(それも大切であるが)、苦しいときに声をかけられる人」でありたいという目標は明確になった。学校での様々な出会いが、私の人生の道しるべとなっている。