ラボ訪問 島崎 英夫 教授
社会変革の主体 教師の道を?選択?する気概を
教職教育研究センター
島崎 英夫 教授
「高校の国語教師として19年。その後大阪府教育委員会。大阪教育大学とは指導主事時代に研修担当をしていた頃からの縁で、いい教師を育てなければと思ったのもその頃からです。本学へは最初交流人事で、その後一旦府に戻り3校目の校長で高校教師としてのキャリアを締めくくった後、本学の教職教育研究センター所属の教授と戻り7年目です」と島崎教授が少し懐かしそうに話し始めました。
「教師になったのは、CALLING、つまり天職を感じたからです。大学4年まで応援団長で、有名企業から声がかかる時代でした。内定も得ますが、応援団長という属性で評価されたことに釈然とせず、いっそ全く関係ないところをと教員採用試験を受けました。もちろん予め考えた志望動機をもって臨みましたが、ちょうど、私が答えるその時、面接会場の隣の大手前高校から吹奏楽の練習する音が聞こえてきました。ホルンの音でしたがそれを聞いて思わず『こんな音を聞きながら仕事ができるのは学校の教師しかないと思います』と頭に全くなかった言葉が出てきました。その瞬間、“これが本心じゃないかな”とも思いました。ホルンのCALLINGに応えて教師になった。『自分のいる場所はここ(学校)だ』という何か確信のようなものを得たのです」
指導力不足教員研修を主担し、自分の気持ちを偽って諸々の理由で教師になった、教師という仕事にCALLINGを感じない人が多かったと振り返ります。「論語に『四十にして惑わず』とありますが、それを解釈するうえで『迷うと惑うは違う』と唱えたのが江戸時代の儒学者の伊藤仁斎です。迷うとは、どこにでも行けるがどの道に進むか躊躇することで、惑うとは、心が決まっているのにそれを阻むいろいろな制約や自信のなさが心の上に枠としてかかって自分の志を生かすことができないことを言います。惑ったまま教師になると、かっこ悪くて生徒たちに失敗談も語れません」
「大学生や高校生も、惑っている人が多いように感じます。成績や親の考えなどの制約が枷になって自身の心を伸ばす方向に進めない。残念ながら、国際調査を見ても、志望動機を社会的貢献といった志で答える日本の教員の割合は他国より低く、特に若手で減少しています。『しんどい』社会からのSOSやCALLINGに応えて『社会を変革する主体』としての教師の道を選択してほしいと思います」
島崎先生はこれらの話を、教員志望2回生の必修、教職入門の授業で最初に必ずし、迷う学生には、実習以外でも学校へ行く機会を与えるといいます。「現場の風、学校なら子どもたちの声に『是非ともあなたが必要です』という声を聞くことで、惑いを振り払ってほしい。そのうえで本当に『教育とは何か』ということをもっとラジカルに考える力を大学で養ってもらいたいのです。言葉にしっかりこだわり、指導とは何なのかをきっちりと話ができるように。面接練習も大切ですが、そういう意識で大学生活を送れば、頭の中が真っ白になった時、本物の自分の言葉が出ます。
これは教師となってからも同じで、生徒に向き合うときマニュアルなど通用せず、頭の中が真っ白になるような事が限りなくあります。その場にどう対応するかそこで教師の真価が問われます。AI にできない教師の力があるとすれば、それはマニュアルやルーティンのないところで自分の道を拓いていく力ということになるのではないでしょうか」
今後も教師教育に尽力し続けたいと語る島﨑教授は眼差し熱く、でも穏やかに続けます。「よい教師とは主体的な教師。主体とは何かを現職教師向けの研修でも常に問いかけます。どんな主体になるのかということを具体的に意識して自分が動けば、人間も世の中も変えられる。世の中を良くする主体になり、そんな主体を育てるのが教師です。気概を持った教師を育てたいです」
「TenYou ―天遊―」vol.48インタビュー&メイキングムービー
(2019年12月取材)
※掲載内容はすべて取材当時のものです。